喫茶遍歴 一

私と言う人間を形成した要素の一つが喫茶だと思っています。

けれども介護で忙しかった間、コーヒーはマシンで淹れ、お茶はティーバッグへ。 良子の部屋で「中国茶の間」を始めようと思いつき、久しく離れていたこの世界に触れました。 ちょうど蟹座新月とあいまって、私の欲求はこれだと思いました。 それは仕事としてすると言うことではなく、私の根本的な欲求だったのです。 「一人で静かに過ごしたい」 家族は仲間は大切な存在ですが、私とはそういう時間が必要不可欠な生き物なのだと。 昨日自分のために茶を淹れながら、そう自覚できました。

ですがそれはそれとして、 茶の間の主人としてみなさんそれぞれの茶会を体験していただけたらと思っています。 話し相手が欲しい方にはおしゃべりを。 そんな訳で、ここはひとつ、私を知っていただくために私と茶の馴れ初めを書いていこうと思います。

始まりは・・小学校低学年の頃に遡ります。 昔ー父の友人の奥さんがJAZZ喫茶を営んでいて、時折そこへ連れて行かれました。 漆喰の壁にモダンなインテリア。 レコードがたくさんあって、スピーカーからはベースの音がボンボン響くような曲が流れていました。 私が行くと作ってくれたのはアイスクリームの乗ったココアでした。 大人しくストローで吸いながら、父と奥さんの世間話を聞いていました。

その頃我家では、普段は和食でしたが、日曜の朝だけリーフの紅茶やインスタントコーヒーでパン食でした。 母が好きだったんでしょう。 母方の祖母もこだわりのものが好きな人でしたから。

高校生になると、花屋でアルバイトをするようになりました。 休憩時間に街をぶらぶらしていて見つけたのが大きな木の看板。 矢印の細い路地の奥を進むとまた看板。 ビルの裏手のようなところから地下へと階段を降りてゆきます。

ドアを開けると薄暗い空間にガス灯がともる焦茶のカウンター。 クラシックが流れる店内にはワイシャツに黒いベストの主人と男性客が一人。 私もカウンターに勧められて少し離れて座りました。

それまで、本格的な珈琲を飲んだことがありませんでした。 そこで、珈琲を注文。 目の前で店主が豆を挽いて、準備します。 無駄な所作がありません。 まるでお茶を点てるように決まった手順で美しく珈琲を淹れているその手元をじっと見つめて待ちます。

棚には名だたる窯のカップが並んでいて、壁には油絵、銀花と言う季刊の雑誌が並べてありました。 大宮の「茜屋」と言う店でした。 軽井沢が本店で、今ではあちこちに支店もあり有名ですね。 この名店も今は主人も入れ替わり、地下から移転してその濃さが薄まってしまいました。 ないものねだりです。

生まれて初めての苦い珈琲。 すするように我慢しながら飲んだことを覚えています。 当時、私の時給よりこの一杯の珈琲は高かったのです。 ですから頻繁には行けませんでしたが、この隠れ家へは大抵ひとりで、時折気に入った人を誘って通ったのでした。

akaneya 写っているのは今の店内ですが、以前のままのカウンターと店の半分はそのままに移築されています。

つづく